この場を提起/提案するにあたって --Mission Statement,the way forward--

このHP及びMLはダンスや体操、パフォーマンスアートや身体という問題領域について学際的に考えるアカデミックなディスカッション・ グループの生成を目指しつくられました。 ダンスに関する研究者やパフォーマー、指導者、舞踊評論、エンジニアを始め、様々な立場の人間が立場や領域を こえてディスカッションをしたり情報や問題を共有出来ればと考えています。 体操・新体操・アクロ体操・トランポリン・チアリーディング・ エアロビクス・シンクロなどのスポーツ、パフォーマンス、身体知といったものに関心がある方も歓迎しています(現在議論はダンスよりとなっていますが)

現在MLには、海外の研究機関や舞踊団で学ばれている方/働かれているかたも登録してくださっています。この空間(場)が、日本という固有の地域的制約/条件を超えて、幅広い人々がダンスというトピックについてそれぞれがやっていることから学びあえるヴァーチャル・インスティチュート/「見えない大学」のような役割を果たせればなによりです。

 

<アート>

アートのコンテクストからはクラシックバレエからモダンダンス/ポストモダンダンス、舞踏、ヌーベルダンスを経て現在にいたる流れの中で、西欧のみならず非西欧のコンテクストも含めながら<新しいダンス・ムーブメント>を各々が考え模索する場・きっかけをキャッチするアンテナとしての役割を果たせれば嬉しいです。

 

<スポーツ>

スポーツのコンテクストからは旧ソ連崩壊後の資本主義/社会主義という構図を乗り越えた新しいスポーツの模索が必要です。オリンピック・ムーブメントの結果、社会主義ではスポーツは国威を発揚するための別格の聖域となり、資本主義ではマスメディアや大資本とのつながりが問い沙汰されています。本来スポーツが自発的で自由な身体文化であるならば、新しいスポーツについて考えていく必要があります。「近代的な」「国民的な」スポーツを変えていくポテンシャルがダンスにはあります。

 

<医学/医療>

ダンスという存在の構成要素には、「ジェンダー」や「心身問題」、「ポストモダン」など多くのキーワードが含まれています。 このディスカッショングループが体育学・舞踊学の中にあった専門的な<からだに関する知識>に関する問題郡・問題領域の脱領域化を導くきっかけでありたいです。

 

<教育>

近年学校内以外でもダンスを教えるという動きは高まっています。アルビン・エイリー・カンパニーの芸術監督のジュディス・ジャミソンは「ダンスは空間・音楽・動きといった様々な要素を教えることができるマルチ・インテリジェンスなものであり、NYのスラムの子供たちをマフィアなどにしない更生の方法としてNY市中で教えたい」といっています。「公の学校の限界」が論じられ、教育改革、フリースクールなどといった試みが行われている現在、ダンスを教える人は教えられる内容のみならず教える場の意義についても考えることが大切です。

 

<テクノロジー>

またデジタル・テクノロジーが新しい身体像を描き出しつつある現在、 様々なメディアの変化の中で振り付けのソフトウェアが開発されたりしてきています。デジタル化の波は、社会において教える側・学ぶ側・発信する側・受け取る側の役割や姿が変化していくことを推し進めていきます。「群盲象をなでる」ではありませんがMLを通じてこういった「新しいメディアの形」といった事柄についても、登録していただいている方々とダンスや身体の話題に触れていく中で考察・発案を行っていくことが出来れば素敵だと思います。

 

-新しい人間像・コミュニュティ像の探求とダンス-

20世紀を代表するダンス・ムーブメントは新しい人間像や新しいコミュニュティ像を探求する「実験」や「試み」の中から生まれてきました。そしてその動きの中ではダンスはアート自体や体育自体のみに回帰せず様々な領域と関連することで発達をしました。例えば現在体育・スポーツにおいて重要な概念とされる「リズム」はドイツ表現主義の中から派生した概念の1つですが、ドイツロマン主義を代表する1つの時代的な通念でもあり、当時はアートという概念に取り込まれてまもない「ダンス」、今ほど制度化されていなかった「体育」という領域の中でそれぞれが専門に回帰することなく影響を与えあうことで用いられてきた概念です。(しかしそれが歴史概念となり、今では体育・スポーツの内部で扱われています。クラーゲスによる「リズムの本質」の背後にはこのような時代的な背景がありました。従って「リズム」を分析するにしろ運動のために用いるにせよ新しい概念による読み変えが必要になっています。)
ドイツ人であるスザンヌ・リンケが私に語った逸話の中に「両親や家族、共同体に対して忠実であったドイツ人たちが初めて自分達で両親の世代と異なる新しい文化を生み出したのがドイツ表現主義だった。戦後さらに新しいものを生み出したのがピナ・バウシュ等によるタンツ・テアターだった」という逸話があります。ドイツ表現主義の中で舞踊はスイスにあったモンテ・ヴェリタというコロニーで形成されました。実験的なコミュニュティが模索され、貨幣に頼らない物物交換による経済の模索、日光浴や裸体文化、様々な新しい科学・芸術の萌芽となるアイデアがその中で生まれたといいます。ルドルフ・ラバンやメアリー・ウィッグマン、クルト・ヨースといった人々は大学も研究機関もない中、自らの手で自然運動の分析をはじめ、新しい舞踊を模索しました。その中で現在のアートや体育の源流ともいえる身体運動が形成されてきまいた。このコロニーの像は戦後のアメリカに形成されたヒッピーたちのコロニー、コミューンを彷彿とさせます。
アメリカでは1960年代から70年代にかけてウッドストックやヒッピーカルチャー、コミューンに代表されるカウンターカルチャーが華咲きました。同じように新しいコミュニュティが模索され、新しい経済、新しい文化、新しい社会基盤が模索されました。そんな時代背景があるなかでマーサ・グラハムに代表されるアメリカ・モダンダンスはアメリカをツアーしています。カルフォルニアでは裸体文化やコミューンがあるなか、アンナ・ハルプリンという精神的支柱の影響のもと、トレシャ・ブラウン、メロディス・モンクなどによる新しいダンスが生まれます。グラハムの弟子であったカニングハムは独立し、作曲家のジョン・ケージと共にポストモダンダンスを求めて活動を開始します。新しいダンスムーブメントはこういった社会の流れと深く関連を持っています。
現在のスタンダードとなった「情報社会論」でさえ、このような動きの中で形成されたものです。黎明期といえる1960年代から情報社会論がメジャーになる1990年代まで、アメリカ西部を中心とする様々なコミュニュティ(時にはコミューン・実験的共同体も含む)では情報基盤をどのように社会に取り込むかという事が模索されてきました。
スチュワート・ブラントハワード・ラインゴールドによって生み出された"Whole Earth Review"、シリコンバレーやWELLのような存在がその存在を支えてきたのはいうまでもありません。アメリカではすでにデイヴィット・ボルターの手による優れた人文科学からコンピュータをとらえる試み(「チューリング・マン」「ライティング・スペース」など)が70年代に発表されています。作家・学者・アーティストを問わず新しいメディア・新しい社会を考えそれを<普段なき実験国家><問題発見・解決型コミュニュティ>としてのアメリカ合衆国で生み出したことが今現在をつくっていると思います。未来を感じるオリジナルの発想・成果が様々な領域に生まれたのもその結果ということができます。
2001年9月11日に起きたニューヨークのWTCのテロは「20世紀的世界」「アメリカ合衆国」という制度が自己矛盾を起こしつつあるのではないかということ予期させる出来事でした。1国の為ではなく、人類全体が人類のための地球規模の普段なき実験共同体を考える必要がでてきているのだと思います。新しい地球規模の運動を起こしていく必要があるのだと思います。我々自らの手で新しいダンス・新しいムーブメントを社会像とセットで編み出す必要があります。そのためには他の模範となる独自の方法論を自らの手で生み出す必要がありあます。

最後にこのMLを通じてお互いに広く刺激し学びあえるものがあれば素敵だなと思っています。 SF小説家のアーサー・C・クラークも計画者のR・バックミンスター・フラーも、最初は1000年後の世界といわれ、いつのまにか40年後の世界といわれ、最後には時代遅れといわれるようになったと言います。(フラーに関しては「宇宙船地球号」冒頭部分を参照のこと)。ルネッサンス、産業革命・19世紀の基礎科学の形成・発達と実験室の誕生を経て「専門分化を した諸科学と市民社会」から「新しい科学の形と世界市民」へという流れを踏まえながら オルタナティブな21世紀の生活の形態を模索する「勇気ある試行錯誤」・「実験」を行い、 21世紀初頭から22世紀以後の社会へ向けて「未来への遺産」を形成していくべき困難な時代の中で知恵を出していく必要が存在しているのだと思います。全世界に情報を発信することができる、原理からして決して破壊できない自立分散型の通信網が各家庭までにひかれつつある現在、多くの人々がつながりあい情報を共有することから時代の動きに先鞭をつけ、流れを導くきっかけとして、 ダンスというキーワードを通じて描きうる1000年後の未来を数多くこの世の中に送り出してみませんか?

このサイトが常に変容しつつづけ発展を続けるダンス界の本質を見つめ・追求し続け・無償に無料で貢献し続ける<ダンス界の水晶宮>(Crystal Palace in Dance World)であってほしいと願います。

 

多くの領域・立場の人が集まる意義について

ダンスの両義性について