多くの領域・立場の人が集まる意義について

「宇宙船地球号」という概念を提起した人々の1人、リチャード・バックミンスター・フラーは(ケネス・ボールディング等も提起しましたが)その著書「宇宙船地球号操縦マニュアル」で次のように述べています。

「船が沈もうとしているときにボートや木材で脱出をしようとする人がいる。けれども人はピアノの蓋をボート替りにすることもできる」

現実社会においては難題が山積みされており有能や学者・政治家・有識人の知恵を絞っても解決できない問題は無数にあります。理論や計画を完璧にほどこした「ボートや木材のような」解決案を準備することもできるが、<ピアノの蓋>をボートに見立てるような機知の転換も可能であるということがこの言葉の意味です。必ずしも専門家やそれなりのポジションにいる人が問題を解決することができない事も数多くあります。むしろ日常的に多くの立場の人が持つアイデアが解決案を導くことも可能なのです。(そしてフラーや1国・1大学・1企業のために生き・生活をする専門家(スペシャリスト)ではなく多くの国家・企業・大学のために問題を立案・解決する<計画家>、ジェネラリストをそのために必要な人材と位置づけています。ダ・ヴィンチは飛行機がない時代に飛行機やヘリコプターを描いてみた計画家でした。また海賊のリーダーでありエリザベス女王の英国海軍の長官であったフランシス・ベーコンを筆頭に多くの歴史上表に出ることがなかった海賊、海の民をジェネラリストの起源の1つにしています)

数学者の森毅は京大の助手時代に多くの領域の人と付き合い「なぜおまえは中学校の先生などとつきあうのか?」といわれたことがあるそうです。専門に一定の領域で仕事をしていると出世も評価される結果も早いけれども、そういう人に限って大学の会議などであの先生は問題があるということになりやすいという直感的な疑問から、森は多く立場の人間と交流を持ったといいます。人間社会とは様々な立場の人間の本来有機的な結合体であり、それぞれの領域への直感的な不満や偏見も多くの立場・領域の人間と付き合うことで得ることが可能です。

「水俣病」という<現実的な問題>が発生したとき、関連諸領域の研究者のみならず市民・労働者・被害者およびその家族が共同研究を行いました。その研究に参加をした研究者は市民や労働者、被害者のほうが問題の本質を専門家たちより深く考え、直感的に問題を見抜いていることから、専門とはなんだろう・研究者の意義について深く考えたといいます。また市民運動と研究の関連についても痛感をしたといいます。このプロジェクトに参加した研究者は研究者のコミュニュティ内部での共同研究体験では決して体験できないものだったと回想しています。同じテーマをもって研究者たちが学際研究を行うときでもその作業は「複数の職人による1つのフレスコ画のタイル張り」「群盲象を撫でる」と例えられます。しかしその作業は研究者のコミュニュティ内部のみの問題ではないのです。

哲学者の中村雄二郎と人類学者の山口昌男は1970年代に彼らからみて同時代の詩人谷川俊太郎のテクスト(「昨日、今日など」『散文』)から「知」という言葉を概念として選びとり、「知の転換」「知の組み替え」といったことを提起しました。(中村・山口「知の旅への誘い」岩波新書、大江・高階等を含んだ「例の会」「現代思想」での活動など)ダンスは本当に多くの領域の知が交差する刺激的な場所・地点です。ダンスを愛する多くの人間が有機的に結合しあうことで、それぞれのやっていることを見つめあい、同時に舞踊界・研究の諸問題を解決していく<ピアノの蓋>を現実社会の中から見つけることができればと思います。