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幻想の中の踊り手たち
ラ・バヤデール 〜スラミフ・メッセレル メモリアル〜
谷桃子バレエ団
Photo: スタッフ・テス 飯田耕治
谷桃子バレエ団が四半世紀ぶりに「ラ・バヤデール」を全幕公演した。今回はスラミフ・メッセレル版である。インドの王宮で繰り広げられる恋愛劇は鮮やかでありながら奥深いものだ。小倉重夫によれば原作は4,5世紀のインドの宮廷詩人カーリダーサの最高傑作である。この作品はロマン主義の流れの中で西欧へと紹介された。
第一幕では、インドの寺院に設置されたセノグラフィの前で、バラモン(赤城圭)が乙女ニキヤ(佐々木和葉)に愛を告げる。しかしニキヤには想いを寄せる男ソロル(斉藤拓)がいる。佐々木の丁寧な演技と踊りは役柄を映し出して、実に清らかだ。
一方、ソロルは領主にガムザティ(樋口みのり)との結婚を強いられる。交差する二組の男女の中でニキヤの思いはゆれる。第一幕第三場に入ると、主人公の思いを黄金の大仏(松島勇気)が受け止める。松島のユーモラスでダイナミックな演技には客席が沸いた。
続く第二幕では、妖精のような壺の踊りやきらびやかなパ・ダクション・パープル、パ・ダクション・ゴールドが披露される。その中での、清純なニキヤの踊りと内に毒牙を秘めたガムザッティの艶やかな踊りは大変対象的である。
最後には、花束に仕込まれた毒蛇でニキヤは殺されてしまう。「白鳥の湖」など一連のロマンティック・バレエに通じることは形式への追随といえるだろう。そのような形式が反映されているのがバレエ・ブラウの白眉とされる第三幕のシーン、白いバレリーナが一面の舞台を描く幻想的で鮮やかな情景だ。一列の死者たちを表したバレリーナたちが余韻を残しながら、ゆっくりと歩み、トゥで立ち、そして一歩一歩と天上へ上っていく。これは本当は、ソロルが懺悔の中で当時社会に流行していた阿片で自らを癒すときに立ち現れる情景なのだが、実に美しいイリュージョンである。やがて男はニキヤの姿を列の中に見出す。そして列に加わり天上へと共に旅立ってしまう。
思えば、エドワード・サイードの著作「オリエンタリズム」から半世紀が過ぎた。この作品は、西欧人が見たオリエントがサイードではないがロマン主義的なイマジネーションと共に描かれている。
M・タリオーニが振り付けた「神とバヤデール」はゲーテのこの作品と同じタイトルのバラードによって作られたもの、と小倉はいう。プティパの「バヤデルカ」にはゴーチエ脚本の「サクンタラ」が影響を与えているようだ。ロマン主義の薫陶の中にある作品とも言え古典の様式は華やかである。その陰影のある物語は純真な乙女の心の美しさと人間の情愛の深みを我々に語り続けている。
(2006年2月24日 東京文化会館) 吉田悠樹彦
舞踊学者。音楽舞踊新聞(音楽新聞社)、ArtsCure(DanceProjectSequence)に定期連載を持つ。他にCutIn (die pratze)などにも舞踊評を執筆。舞踊学会、World Dance Allianceアジア・環太平洋、Association for Dance and Performance Telematics:ADaPT(日本支部主任調査員・プロジェクトリーダー)。一方でテッド・ ネルソンとProject Xanadu のアシスタントを2000年より勤める側面も。伝統的な舞 踊文化を視野に入れながら、ダンスとテクノロジー、サイボーグ文化などメディア・ テクノロジーとの接点も研究対象とする。2005、2006年度アルス・エレクトロニカ Digital Community部門国際アドバイザー。 http://yukihikoyoshida.hp.infoseek.co.jp/yoshidayukihiko.html
ラ・バヤデール 〜スラミフ・メッセレル メモリアル〜
谷桃子バレエ団
Photo: スタッフ・テス 飯田耕治
谷桃子バレエ団が四半世紀ぶりに「ラ・バヤデール」を全幕公演した。今回はスラミフ・メッセレル版である。インドの王宮で繰り広げられる恋愛劇は鮮やかでありながら奥深いものだ。小倉重夫によれば原作は4,5世紀のインドの宮廷詩人カーリダーサの最高傑作である。この作品はロマン主義の流れの中で西欧へと紹介された。
第一幕では、インドの寺院に設置されたセノグラフィの前で、バラモン(赤城圭)が乙女ニキヤ(佐々木和葉)に愛を告げる。しかしニキヤには想いを寄せる男ソロル(斉藤拓)がいる。佐々木の丁寧な演技と踊りは役柄を映し出して、実に清らかだ。
一方、ソロルは領主にガムザティ(樋口みのり)との結婚を強いられる。交差する二組の男女の中でニキヤの思いはゆれる。第一幕第三場に入ると、主人公の思いを黄金の大仏(松島勇気)が受け止める。松島のユーモラスでダイナミックな演技には客席が沸いた。
続く第二幕では、妖精のような壺の踊りやきらびやかなパ・ダクション・パープル、パ・ダクション・ゴールドが披露される。その中での、清純なニキヤの踊りと内に毒牙を秘めたガムザッティの艶やかな踊りは大変対象的である。
最後には、花束に仕込まれた毒蛇でニキヤは殺されてしまう。「白鳥の湖」など一連のロマンティック・バレエに通じることは形式への追随といえるだろう。そのような形式が反映されているのがバレエ・ブラウの白眉とされる第三幕のシーン、白いバレリーナが一面の舞台を描く幻想的で鮮やかな情景だ。一列の死者たちを表したバレリーナたちが余韻を残しながら、ゆっくりと歩み、トゥで立ち、そして一歩一歩と天上へ上っていく。これは本当は、ソロルが懺悔の中で当時社会に流行していた阿片で自らを癒すときに立ち現れる情景なのだが、実に美しいイリュージョンである。やがて男はニキヤの姿を列の中に見出す。そして列に加わり天上へと共に旅立ってしまう。
思えば、エドワード・サイードの著作「オリエンタリズム」から半世紀が過ぎた。この作品は、西欧人が見たオリエントがサイードではないがロマン主義的なイマジネーションと共に描かれている。
M・タリオーニが振り付けた「神とバヤデール」はゲーテのこの作品と同じタイトルのバラードによって作られたもの、と小倉はいう。プティパの「バヤデルカ」にはゴーチエ脚本の「サクンタラ」が影響を与えているようだ。ロマン主義の薫陶の中にある作品とも言え古典の様式は華やかである。その陰影のある物語は純真な乙女の心の美しさと人間の情愛の深みを我々に語り続けている。
(2006年2月24日 東京文化会館) 吉田悠樹彦
舞踊学者。音楽舞踊新聞(音楽新聞社)、ArtsCure(DanceProjectSequence)に定期連載を持つ。他にCutIn (die pratze)などにも舞踊評を執筆。舞踊学会、World Dance Allianceアジア・環太平洋、Association for Dance and Performance Telematics:ADaPT(日本支部主任調査員・プロジェクトリーダー)。一方でテッド・ ネルソンとProject Xanadu のアシスタントを2000年より勤める側面も。伝統的な舞 踊文化を視野に入れながら、ダンスとテクノロジー、サイボーグ文化などメディア・ テクノロジーとの接点も研究対象とする。2005、2006年度アルス・エレクトロニカ Digital Community部門国際アドバイザー。 http://yukihikoyoshida.hp.infoseek.co.jp/yoshidayukihiko.html