マーサ・グラハム舞踊団の活動再開に寄せて

吉田悠樹彦

この国に生きる舞踊家のみならず全世界の舞踊家や芸術愛好者によって愛され てきたテクニックが数年前危機に瀕していた。マーサ・グラハム舞踊団はアメ リカ・モダンダンスを代表するカンパニーである。そのテクニックが著作権が 原因で失われる危機に瀕したという事件が起きた。2000年5月にマーサ・ グラハム舞踊団は運営を停止した。グラハムの死後著作権を受け取ったとされ る写真家ロン・プロタス氏とカンパニーの間に起きた事件である。芸術監督に 就任したプロタス氏の強引な態度に腹を立てたカンパニーは舞踊団・アンサン ブル・学校の運営停止をするという強硬な手段に訴えた。以後2年間の間活動 を停止した。折原美樹は日本人でありながら現プリンシパルの立場にいる舞踊 家である。山田奈々子、正田千鶴に師事し、19歳でニューヨークに渡った。 折原はジョフリー・バレエから始めたがグラハム・テクニックと出合い核心を つかむ。以後グラハムのダンスに没頭し26歳でカンパニーに入団、多くのダ ンスカンパニーで働きながらプリンシパルに就任する。バレエダンサーとして 国外で注目を浴びる日本人ダンサーが多い中で、その存在はありあまる実力が あるにも関わらずあまりに不出世である。むしろ目立ちたがらず自分の舞踊と 向かい合いたいという姿勢がそこにある。女性の舞踊家は若い時期だけとりあ げられることが多い。しかし女性の舞踊家が一番良い踊りを見せるのは人間と して円熟をしてきてからである。折原は一番自分が踊りたく、同時に踊れる時 期にグラハム作品で踊れないという辛酸をなめる日々を強いられた。
カンパニーが運営を停止した時折原は大変な事が起きたとあちこちに電話をし たというしかし日本ではアメリカ日本の舞踊界は大学を中心とした学術機関、 現代舞踊協会すら何もとりあげなかった。マーサ・グラハム舞踊団に在籍をし た日本人は現プリンシパルの折原美樹、現メンバーの鈴木裕子以外に菊地ゆり 子,アキコ・カンダ,浅川高子,木村ゆり子がいる。現代舞踊協会内外に影響 を受けた舞踊家が無数にいることはいうまでもない。2002年の夏、折原は 旗野恵美舞踊研究所でグラハムテクニックの集中的なワークショップを開いた。 そこではグラハムの作品に基づきながらグラハムテクニックとその背後にある 考え方が教えられた。グラハムは作品を構想し、そしてテクニックを創り出し たという。このような本質を教えられる舞踊家は日本でも数少ない。何度も上 演されている作品も時代によって解釈が全く違うという。グラハム・テクニッ クは折原が入団した80年代にすでにカンパニーと共に様式化していたという。 グラハムの視力が低下していたことも要因として上げることが出来るが、70年 代以後のグラハム作品はハイテクニックなダンサーしか踊れないという。しか しグラハムがまだ無名だった時代、まだリリースやコントラクションといった テクニックはあってもスパイラルといったテクニックがなかった時代にはグラ ハムテクニック自体が形式化をしたばかりで折原が入団した時代と雰囲気が違 う上演されるスピードもゆっくりとした作品であった。2003年1月にジョイス シアターで行われた公演では戦前のグラハム作品をそのころの演出で再現をし た。その作品を若きカニングハムやエイリーはADFで見て憧れたのだ。
肉体は時代を反映し、思想によって加工をされる。1つの時代を生きてきた舞 踊家が形式化し、その舞踊家が年齢を経る中で様式化した。<戦後のアメリカ >、<20世紀>という時代が過ぎ去りテクニックそのものが残された。いわ ばテクニックとは舞踊家がその生を持って時代や表現を形式化し結晶化させた ものなのである。その遺産を受け取る時、多くの舞踊家によって愛され発展さ せられた舞踊家のダンスの持つ意味とその継承を考えなくてはならない。20世 紀という時代が薄れてもテクニックは残り継承されていく。テクニック、20世 紀を代表する美しいダンスの1つが法律上の問題から危機にさらされた。折原 は9・11以後の21世紀になってもグラハムテクニック・グラハムの作品を 継承し広め続けている。グラハムは1991年に96歳で亡くなるまでに18 1個の作品を残した。21世紀はダンスにとって華開く時代であろうか。


マーサ・グラハム舞踊団のダンサー側からの宣言文

マーサ・グラハム舞踊団の最新の情報については8月末にDanceInsiderの記事などでお伝えすることが出来たと思います。以下の文面をみればわかりますが来年1月にグラハムの久しぶりの公演がジョイス・シアターであります。同舞踊団プリンシパルの折原美樹さんと連絡を取りながら作業を進めていく過程において、マーサ・グラハム舞踊団のダンサー達からの宣言文を翻訳することとなりました。以下折原さんからいただいたの文面に翻訳した文面をつけることで公開したく思います。私個人の翻訳としては正式な公なものとしても初めてのものです。いろいろいたらないところ不備などがあるかもしれませんがどうかよろしくお願いします。

2000年5月にインターネットを通じて折原さんから同舞踊団活動再開を願うための請願書のテクストをうけとりました。モダンダンスというキーワードを共有する舞踊家を中心とするアートコミュニュティの間では極めて重要な問題であるにも関わらず、大学や舞踊関連の組織で正式にサポートをする存在はありませんでした。日本の大きな媒体でとりあげたのは朝日新聞のみです。またホットヘッドワークスで折原さんが状況を話す機会があった程度でした。一方でフランスやイタリアを中心としたアートコミュニュティは政治的なものも含めてすぐに準備をしてくれたといいます。ちなみにこの問題の裁判官はピラーティス・メソッドがエクスサイズのネーミングをめぐる著作権の問題でトラブルに陥った時、その問題の裁定をした裁判官とのことです。近年社会の情報化と伴ない著作権に対する関心も深まっていることもありこの一連のトラブルが描き出した問題群はグラハムのみならずこの先も多くの形で現れてくるかと思っています。

このHPは以下の文面に移行します。これまでたち上げてきた署名のための請願書のページはクローズしようと思います。「過去の記録」として別ページにしました。

多くの日本の舞踊界・美術界の問題の諸相が浮き彫りになる中でこの問題をサポートしてくださった方々に私からも深くお礼を申し上げます。最後に研究者として修行中であり若く駆け出しの段階にある私に対していろいろな知識と機会を与えて下さった同舞踊団プリンシパルの折原美樹さんに深くお礼を申し上げます。

2002年10月27日
吉田悠樹彦

[関連リンク集]


皆様、秋も深まって参りました。

ニューヨークは「芸術の秋」という名に相応しくブロードウェイ、リンカーンセンター、BAM、を初め、沢山の公演を観る事が出来ます。秋から春にかけてはシアターのシーズンと呼んでも良いぐらいです。

2000年5月にマーサ・グラハム舞踊団は運営停止になりました。2001年1月にグラハムの学校を再開した事をきっかけにセンターとロン・プロタス氏との間で、マーサ・グラハムの名前、及びグラハム・テクニックという言葉の権利を廻っての裁判が始まりました。そして今年初めにその権利はセンターにあるという判決が出ました。そしてその直後にグラハムの作品権の裁判が始まり,ようやくこの8月に殆どの作品の権利はセンターにあるという判決が出ました。

裁判の途中でしたが、今年の5月9日にマーサ・グラハム舞踊団は1日のみ公演をニューヨークのシティセンター劇場にて行いました。その公演は大変盛況でした。そしてその時に「グラハムの作品を踊らないという事は作品が死んでしまう」ということを認識しました。ダンサーにとって2年間のブランクというのはとても辛いことです。ましてダンサーも生きていかなくてはいけず,中には踊りを止めた人もいます。すぐ他の舞踊団に行った若いダンサーもいました。この5月の1日のみの公演において、ダンサーは勿論ボランティアでした。「お金をもらうということよりも、踊りを踊れるという事の方が,ダンサーにとってはどれだけ大事か」という事も再確認した1つの体験でした。

私事になりますが、この公演にてマーサ・グラハムの作品を踊り、「本当に彼女の作品が好きだったという事」、「踊るという事がいかに自分の生活の一部であるかということ」を、当たり前の事かもしれませんが、再確認しました。怪我や病気で踊る事が出来ないという事はなく、強制的にストップされてしまい、この運営停止は、やっと自分から踊りたいと思う踊りを踊る事が出きるようになった矢先にとても辛いことでした。私も他の舞踊団に行こうかとも思った事もありましたが、マーサ・グラハムの作品を上まる作品はあまり無い状態で,この2年間の間、「踊りを続けて行かれるのだろうか?」、「踊りを止めてしまおうか?」、ととても悩みました。しかし5月の公演の後、やはり続けておいて良かったと心から思いました。

運営停止になった時、舞踊団のダンサーの嘆願書に同意、そして応援をして下さった方々に、深くお礼を申し上げます。同時に、これからのマーサ・グラハム舞踊団の繁栄と発展,そして願わくばマーサ・グラハム舞踊団の日本公演が実現することを願って。

マーサ・グラハム舞踊団 プリンシパル
折原美樹


マーサ・グラハム舞踊団のダンサー達より

プレス・リリース

2002年9月18日(ニューヨーク)

2002年8月23日の米国連邦裁判所の観点から私達マーサ・グラハム舞踊団のダンサー達は世界中の我々の仲間のによるグラハムの作品を上演する事ないしは上演する事を許可することを差し控えているという我々の要求を徹回しました。

マーサ・グラハム・センターとロン・プロタス(Ron Protas)の間の最新の裁判の中で議論をされた作品とセットと衣裳の正統な所持者がグラハム・センターであるとと裁決したニューヨーク南地区の素晴らしいミリアム・ゴールドマン・シィーダーバウム(Miriam Goldlman Cedabaum)よって命令された裁定を私たちは祝います。この長く続いた裁定は作品とセットと衣裳の正統的な所持者を成立させ、そして故に70年以上行われていたのと同様にマーサ・グラハムの作品を上演しつづけるマーサ・グラハム舞踊団のための活路が開いています。

ロン・プロタスとセンターの間に存在した問題は私達にとってとても難しかったです。2000年5月25日にセンターが事業を中断させることを投票で決め、ロン・プロタス氏がその時行われた上演を許可する契約を取り消した時、私達は所有権の問題が決定づけられるまではマーサ・グラハムの仕事の上演を中止にするという私達の取り組みにおいて国際的なダンス・コミュニュティに支援を求めるという選択肢以外ありませんでした。私達はこの極めて難しい中断を支援していたそれらのの個人と組織の全てに感謝をしています。アメリカの舞踊史において偉大な作家の仕事を失わない様にする為の非常に大きな苦闘はこれ以前に決してありませんでした。カラバス・スウェイン・モーア(Caravath,Swaine&Moore)の素晴らしく高い技術を持った弁護士のチームの取り組みは私たちを助けささえてくれ、そして彼らはこの歴史的裁定に導く過程においてとても助けになりました。

昨年の勝った裁定はマーサ・グラハム・センターにマーサ・グラハムの名前を使うという事と世界的に有名なマーサ・グラハム・テクニックを教える権利があると認めました。これはセンターは勿論2001年1月に再開したマーサ・グラハム・スクール・オブ・コンテンポラリー・ダンスにその活動を続けられる事を許可しました。この勝利にも関わらず所有権の問題が再び解かれるまでマーサ・グラハム舞踊団は2002年5月9日のたった1つの公演を除いてグラハムの作品を上演することが出来ませんでした。今現在、この難解な裁定はカンパニーの使命を継続するためのそれ以上の障害からカンパニーを明らかに解放しています。

ニューヨーク・シティ・センターにおける2002年5月9日の公演以外にカンパニーは2年以上公演を行っていませんでした。あのソールド・アウトの公演はマーサ・グラハムの作品の重要さの明確な合図であり、そして2003年1月21日から始まるジョイス・シアターにおけるやがてやってくるニューヨーク公演はカンパニーの存続した存在を容易にするでしょう。この状態と全ての裁定は先立つ設定です。私達は今現在私達の宿命の仕事をすることを続ける事が可能で最も栄誉を授けられています。現代のダンサー達、そして歴代のダンサー達、グラハムの作品の美学とテクニックにおいて鍛えられた全てのダンサーはマーサ・グラハム舞踊団とグラハムの作品の未来を保証する為に前に横たわっている多くの挑戦と立ち向かう事を覚悟しています。

私達マーサ・グラハム舞踊団のダンサー達はこの過去の困難な年月の間私達をサポートした多くの職業と組織からなる人々と国際的なアートコミュニュティーに対して私達の最も深い感謝の気持ちを伝えたいと思っています。

今現在から未来に向かって。

マーサ・グラハム舞踊団のダンサー達より:

エリザベス・オクレアー(Elizabeth Auclair)
タデーイ・ブラドニック(Tadej Brdnik)
テレース・カプチーリ(Terese Capucilli)
ジェニファー・コンレイ(Jennifer Conley)
キャサリン・クロケット(Katherine Crockett)
クリスティーン・ダイキン(Christine Dakin)
エリカ・ダンクマイヤー(Erica Dankmeyer)
キャリー・エリーモア−ターリッシュ(Carrie Ellmore-Tallitsch)
ギャリー・ガルブレイス(Gary Galbraith)
ホイットニー・ハンター(Whitney Hunter)
クリストフ・ジャノット(Christophe Jeannot)
キム・ジョーンズ(Kim Jones)
マーティン・ロフスネス(Martin Lofsnes)
キャサリン・ラットン(Catherine Lutton)
モリッツィオ・ナルディ(Maurizio Nardi)
バージニー・メッセーン(Virginie Mecene)
折原美樹(Miki Orihara)
アレッサンドラ・プロスぺーリ(Alessandra Prosperi)
ファン-イー・シェウ(Fang-Yi Sheu)
ハイジ・ステックレー(Heidi Stoeckley)
鈴木祐子(Yuko Suzuki)
ケネス・トッピング(Kenneth Topping)
ブレイクリー・ホワイト−マクガイア(Blakely White-McGuire)
デイヴィッド・ズラック(David Zurak)
(吉田悠樹彦 訳  細かい校正と人名などは折原美樹による)


THE DANCERS OF THE MARTHA GRAHAM DANCE COMPANY

PRESS RELEASE

September 18, 2002 (New York) In light of the United State Federal
Court decision of August 23, 2002, we, the dancers of the Martha
Graham Dance Company, officially rescind our request of fellow artists
around the world to refrain from licensing or performing the works of
Martha Graham.

We celebrate the ruling issued by the Honorable Miriam Goldman
Cedarbaum of the Southern District of New York who decreed that the
Martha Graham Center is the rightful owner of almost all of the
ballets, sets, and costumes contested during the latest trial between
the Martha Graham Center and Ron Protas.  This long-awaited ruling
establishes the rightful ownership of the ballets, sets and costumes
and thus clears the way for the Martha Graham Dance Company to
continue to perform the works of Martha Graham as it has done for over
75 years.

The problems that existed between Ron Protas and the Center over the
years were very difficult for us.  When the Center voted to suspend
operations on May 25th 2000 and Mr. Protas revoked the then existing
licensing agreement, we had no option but to ask the international
dance community to support us in our efforts to prevent the
performance of Ms. Graham's works until the ownership issue was
settled.  We are most grateful for all of those individuals and
institutions that have supported us during this extremely difficult
hiatus.  Never before in the history of dance in America has such a
monumental struggle taken place to preserve the work of such a great
artist.  The efforts of so many, including the superb and highly
skilled legal team of Cravath, Swaine & Moore, supported and sustained
us and were extremely instrumental in the process which has led to
this landmark ruling.

The victorious ruling last year granted the Martha Graham Center the
right to use the name Martha Graham and to teach the world-renowned
Martha Graham technique.  This permitted the Center, as well as the
Martha Graham School of Contemporary Dance which had reopened in
January of 2001, to continue its operations.  Despite that victory,
the Martha Graham Dance Company was unable to perform the ballets of
Martha Graham, with the one exception of a single performance on May
9, 2002, until the ownership issue was resolved.  Now, this profound
ruling unquestionably frees the company from further obstacles to
continue its mission.

Other than the May 9, 2002 performance at City Center in New York, the
company has not performed for over two years.  That sold-out
performance was a clear reminder of the significance of the work of
Martha Graham, and the upcoming New York Season at the Joyce Theater
starting January 21, 2003 will pave the way for the company's
continued existence.

This situation and all the rulings are precedent setting.  We are most
honored now to be able to continue to do our destined work.  We, as
well as all the many generations of dancers from this company, all of
whom are uniquely trained in the technique and aesthetics of the
Graham theater, are poised to meet the many challenges that lie ahead
in order to ensure the future of the Martha Graham Dance Company and
the works of Martha Graham.

We, the dancers of the Martha Graham Dance Company, wish to convey our
deepest gratitude to the international arts community and those from
various professions and organizations who have supported us over these
past difficult years.

Now, on to the future.

The Dancers of the Martha Graham Dance Company:


Elizabeth Auclair
Tadej Brdnik
Terese Capucilli
Jennifer Conley
Katherine Crockett
Christine Dakin
Erica Dankmeyer
Carrie Ellmore-Tallitsch
Gary Galbraith
Whitney Hunter 
Christophe Jeannot
Kim Jones 
Martin Lofsnes
Catherine Lutton
Maurizio Nardi 
Virginie Mecene
Miki Orihara
Alessandra Prosperi
Fang-Yi Sheu
Heidi Stoeckley
Yuko Suzuki
Kenneth Topping
Blakely White-McGuire 
David Zurak

All right reserved by Yukihiko YOSHIDA
(C)Yukihiko YOSHIDA,yukihiko@sfc.keio.ac.jp